2012年12月30日日曜日

2012振り返り〜後編

その②は仕事以外編。

とは言え、基本的には仕事が軸にありつつ、その周りで起きたことなわけですから、
テーマとしては「人間関係編」ということになりましょうか。

2012年を人間関係というアングルから振り返ると、浮かび上がってくるのは再会というキーワードだったのではないかと、個人的には感じています。実にいろんな方と再会した1年でした。

フリーになる前に勤めていた会社に入った直後、社会人になりたての頃に取材に行った店に実に18年ぶりくらいにうかがう機会があり、マスターの名前とともに、いただいた名刺の手触りまで瞬時に思い出したり、依頼を受けて取材に行った店のオーナーさんが中学時代の部活の先輩だったり、それからフェイスブックなどを通じて同級生や先輩・後輩と再びつながったり、あるいは(再会とは違いますけど)、会う方と私の間に共通の知人がいて実は過去に接点があったかもしれない存在だと分かったり。そんな感じで。

原則として生活拠点が変わらなければ、大人になったことによる延伸以上に劇的に行動半径が広がるわけではないので、業務の特性から言っても、そうした【過去に縁のあった方々】と再会する可能性は、普通の方よりやや高いのは確かだと思われます。
当然、20年弱似たような仕事をしていれば、少なからずそういうケースはある。しかし裏側から見るとですね、要はそれ=最初の接点=が次につながってなかったからこそ、「実に久しぶり」に会うことになってしまっているんだよね。つながってなかったっちゅうか、つなげきれなかったっちゅうか。

今年からお受けし始めた人物取材も含め、仕事を通してたくさんの人と会わせてもらっているのですが、それらが財産というか糧というか、もっと簡単に言うと経験として蓄積されているかと言えば、我ながら疑問符がつくことを否定できないふがいなさ。冷静に考えれば広がるものも広がらないわな。

使わなければシナプスが退化するように、人とのコネクションも放っておけば往来はなくなり、いざ必要となった時に使い物にならない。ってなことになってしまうと(つーかもうそんな感じなんですけどね)、せっかく人とつながる仕事をさせてもらえている意味がね、なくなってしまうじゃないかと、ことあるごとに思うのですが、喉元過ぎれば、なんだよねこれが。

2013年はそのあたりで、せっかくのご縁をしっかりつないでおくための工夫が必要だなあと、痛感しております。

というわけでひとまず、
2013年もどうぞよろしく、お願い申し上げます。

2012年12月29日土曜日

2102振り返り〜前編

今年もあとわずかとなりました。

とりあえず今日の午前中の取材仕事を最後に、今年の業務は終了となりました。

毎年1年が過ぎる早さは少しずつ早くなっていると感じるものだけど、そのスピードが今年はとても早かったなという印象。一方で何ができたかというと大したことはできず、特にここではJ関連でちょこちょこと書いていこうと思っていたにも関わらず、ほとんど書けずじまいでした。1年というか、この3年に関しては改めて記録として残しておきたいこともあるので最後にとっておくとして、それ以外の仕事について第1弾として2013年を振り返ってみます。

手帳をパラパラ……。

まずはグルメ系ムック本のお手伝いから今年はスタートした模様(すでに忘却の彼方)。
その後シーズン開幕前の名鑑ものなどにかかり、U社様の別冊を同時進行でちょこちょことやらせていただいた。

今年からお受けした仕事の中では、K日様のフリーペーパーに掲載されている人物インタビューもののコーナーをもう1人別のライターさんと2ヶ月交代で担当しました。
人物インタビューに関してはフリーになった時点から力を入れていきたいジャンルであり、まぁまぁ苦手ではないものではありましたが、定期的なペースで受けるとなるとなかなかそのサイクルに慣れるのも難しく、テーマの選定から人選などに腐心し、さらに原稿作成の時点でも違いを出すのに苦慮しました。
1本のヴォリュームはさほどないのでポイントを絞って構成することになるわけですが、それぞれの対象をイメージしやすいような要素を入れこむ工夫が必要で、プロットのひな形をある程度作っていればスムースではあるものの、それをどんだけ崩して新鮮さを出すかという部分は今後も引き続き課題となりましょう。
とは言えこの取材で半年間に16名の方に話を聞きました。
その内訳は…、
ゴールキーパー、救命医、キャリアカウンセラー、樹木医、漁師、学芸員、農家、カナダ人ALT、科捜研の女、アナウンサー、皮専門クリーニング店、新幹線を洗う人、宮大工、スジ屋(電車のダイヤ編成)、税関職員、宿オーナーとその職業は実に多彩で、大変刺激になりました。

それから昨年に続いて秋口にはラーメン本の編集を担当。
前回は一部記事執筆も担当させてもらいましたが今回は進行に専念し、前回よりはスムーズに進められたかなという感じ。上がりも良いと思います。

そしてK日様の70周年記念号をライター仲間のN君からの依頼で一部担当し、こちらでもインタビューものを1本受けましたが、これが非常に濃厚であった。対象の方が自分の職業の延長上にいらっしゃるノンフィクション作家さんだったこともあって参考になることが多々ありましたが、これまた少しでも来年以降に生かしていかねばというところであります。

あとはC社様に(自分史上初めて)売り込みと言いますか営業のようなものにうかがい、航空F社関連のお仕事をいただいて北海道、長野、名古屋と出張取材。タイトなスケジュールで他の仕事とかぶるタイミングではあったものの、旧知のフォトグラファーSさんと同行だったので道中いろんな話ができたのも良かった。
その後お話がないのであまり評価していただけなかったのかもしれないのですが。。

んで、サッカーの取材では岡山への車での遠征と年末の天皇杯名古屋と、未踏の地へ行くことができた。クリスマスのフットサルができなかったのが心残りです。


まぁ、いろいろと細々とやらせていただいたのではあるが、
昨年あたりからの同業者様の動きを見ている中で、自分でも何らかのアクションを起こさねばということを切に感じております。それがどういうスタイルなのか、誰に向けて何を発信していくのか、そういったことを思案しているわけですけれど、これという結論はまだ固まる所まで至っておりません。

とは言え、別の取材で先週うかがったとある企業の社長さんがおっしゃっていた、
「何でもやってみないと始まらない」
という言葉が鮮烈に耳に残っている年の瀬。

後厄ですがしんどかった2年(3年?)を抜ける来年、
そろそろ動かねばなるまい、と感じているところであります。


では、また。

その②へ続く。

2012年12月19日水曜日

音楽にはかなわない…んじゃないか。

ひと月ほど前ですが、
とある方からライブをやるにあたっての準備に加わってもらえないか、という連絡をもらいました。

結果として諸事情によりこのライブはちょっと延期ということになったのですが。

準備に加わると言っても、音響とかイベント運営について私は全く分からないわけで、先方の考えとしては、フライヤーや企画書に記載する文章を考えてくれ、ということでした。

この方とは長い付き合いで、私が社会人になってすぐの頃に仕事で知り合い、その後ちょこちょことお願いしたりされたりという時期を経て、ずいぶん長いこと(入院されたり各地を回られたりで時間もなかったんだけど)会う機会がなく、先日ほんとに数年ぶりに会ったわけです。

容姿も、それから何と言うか、(本当はそうじゃなくても)アッケラカーンとした雰囲気も変わらず、それはそれで嬉しいことでね。
で、話が進み始めて、企画を立ち上げた方、フライヤーなどデザインを担当する方(こちらも旧知の先輩)、そしてライブの時に音響を担当する方、そしてご当人と私の5人が集まる形で一席設けられて、お酒を飲みながらいろいろと話したわけです。

そのとき、話を受けた時から気になってたことがあったので聞いてみた。
「そういう大事な催しに、私の書いたものを使っていいんですか?」
するとこうおっしゃる。
「なん言よっとね、アンタだけんいいとたい」

これは非常に嬉しかったんだけど、こういわれるとますますプレッシャーに感じるものでして。なぜそう思うのかっていうのを、それから考えてみたのですが、自分の中で結論はこう出た。
つまり、音楽に文章はかなわない。ということで。

どっちがいいとか悪いとかってことではないし、もちろんそれを表現する目的には共通する部分もあれば違いもあるし、例えば逆の立場であれば感じ方も逆になるのかもしれないけれど。

この人がやっている音楽を表現するために書く文章は、この人がやってる音楽そのものにはかなわないんだ。

この方に限らず、音楽をやっている人の言葉のセンスに触れると、いつもハッとさせられる。
そりゃそうだ。限られた文字数=音数に思いやメッセージを伝わるように込めるんだから、だらだらと垂れ流すように文章を書く私のような書き手の表現に比べたら、何倍も洗練されていて、何倍も鋭く、深い所まで届く。おまけにそのことばにメロディがつけられて、楽器の音と歌い手の声が重なって、生で聞けば場の空気も聞く人を包むんだもの。
文字で書かれた文章がかなうわけがない。

こういう感覚は、写真を撮る人や絵を描く人と接する時にも感じるんですよね。映像はもちろん、もっと広げたら料理や建築も表現なわけで。

そう考えると、何かについて書いたものというのは、その書いた何かを補完するものでしかなくて。もちろん人のコミュニケーションの大部分はことばで成り立ってはいるんだけど、それが全てではないし、そこに頼り切ってしまうことの弊害もある。だからって蔑ろにするわけにはいかないという。

その価値を十分理解した上で、それ以上のものを付加できるようなものを作っていかなければなぁと感じますな。自分がやってることは文芸じゃないけど、まぁ何にしてももっと磨かないかんということは間違いなさそうです。

2012年11月27日火曜日

大分の昇格に寄せて

プレーオフ2連勝した大分トリニータがJ1復帰を決めた。

選手、関係者、大分県民の皆さんにはおめでとうございますと言いたい。

しかし正直なところですね、上がって欲しくない。
という気持ちもありました。

理由は、まず1つには同じカテでやることによって大分からたくさんのサポーターの方が来てくれるし、それによって試合自体も(クオリティは別として)盛り上がるし。
こっちから乗り込むのも楽しいし。なんで、できればできるだけ同じカテでやりたい、という気持ちがあった。

もう1つは単純に、だから。

自分とこのやり方がまずくて大変なことになって、Jリーグから借金して運営して、
県民からの寄付で返済して、って、そういう悪しき前例を作ってしまった、とかいうことがまぁ、自分が抱く感情の表層にはあるのかなと思うんですが、
よく考えると実はそうではないみたいでね。

深層の部分で何が癪かと感じてたかっていうと、チームを上に上げるために、Jリーグに借りたお金を返すために、クラブが県民に募金をお願いしますと呼びかけて、その結果としてホントに1億円集まってしまうっていう大分県のポテンシャルがさ、隣の県民として癪だったんですね。

この件に関してはシーズン途中、ある企画の打診がありました。
昨年の東日本大震災の時に100人以上の書き手が寄稿して、「サッカーのチカラ」っていう電子書籍を作り、その売上の一部を寄付するという企画がありましたが、それと同じような形で有志が寄稿して電子書籍を作り、少しでもお金を集めて大分のクラブを支えたいという企画の依頼でした。

これを私は断った。

なぜならそれをせずとも、大分という地域にはお金を集めるだけの力があると思ったからだったのでした。

で、実際にそうなった。


なんだこれ。なんなんだ大分。
なんでそんな力があるんだ。


そりゃ歴史は違うよ。
日本一にだってなったクラブだよ。
ワールドカップだってあったよ。


同じカテゴリーになって、
追いついたと思ったのに、
全然追いついてないじゃん。


もちろん真似ちゃいけないところはあるし、
違うやり方で熊本はやっていかなきゃいけないと思う。

けど県民の熱とかエネルギーは、もっと見習わなきゃいけない。


それは伝える立場としてチーム、クラブを見ている自分にも言えることでした。


あそこに行きたい。
もう一回、同じ所に立ちたい。


ホント、そう思ってます。

2012年9月2日日曜日

天皇杯

仕事ではなく(仕事的な一面もあるのですが)
見に行ってきた1回戦。

熊本県代表の大津高校はJFLシードのV・ファーレン長崎と対戦。大津高には鹿島入りが内定しているDF植田、FW豊川などがいましたが、いかんせん、地力に差があり過ぎた。
長崎には元熊本の選手が多数いて、河端、山本、岡村、中山が先発。
立ち上がりからペースを握って高校生を押し込み、10分までにCKから2度の決定機を迎えるも決まらず。


それでも熊本時代には感じなかった岡村君のゲームメイクぶりが秀逸で、中盤でボールを奪っては長短のパスで左右へ展開し、タメを作って落ち着かせたかと思えばしかける所は自分で仕掛け、サイドのスペースを追い越す選手が目に入れば門を通して走らせたりと、
「こいつこんなに上手かったっけ?」と感じるほど、長崎の中心になってました。

最終的には前後半に1点ずつ挙げた長崎が2-0で勝って2回戦にコマを進めましたが、
中身的にはほぼ圧倒していた感じ。


大津高はちょっと夏場の疲れがあったのか、それともやっぱり身体のできている準プロ相手ってことで躊躇した部分もあったのか、出足のとこでも後手を踏んでいたため守備もルーズ。植田君のカバーやフィードはさすがだったけど、攻撃面では全くいいところ出せなかった。

相手が違うので分かりませんしこれから変化もあろうけど、まぁこの状態だと選手権もそう簡単ではなかろうと。

しかし一方の長崎も内容から見れば4、5点取ってないとおかしい展開だったし、
2回戦はJのチームが相手になるので押し込まれる時間が長くなると考えれば、
最後の精度は大きな課題になるでしょうかね。


2回戦、熊本は岐阜と当たり、勝てばおそらく3回戦の相手は仙台。
行きたいが…、微妙だ。

その2回戦、今日行われる1回戦で讃岐が佐賀大に勝つと、
9日(日)にベアスタで鳥栖と当たる。

こっちは見に行こうかと思ってますが、
申請してなかったなぁ。

飛び込みで行けるかな。


では、北九州へ行って参ります。

2012年7月21日土曜日

コジマのこと。

先週末、ツイッターのタイムラインを通じて悲しいニュースが入ってきた。

サッカーを通じて知り合った高校の1年後輩、なんだけど友人の1人が、金曜の夕方に亡くなった。胃がんだった。41歳って早すぎる。

去年あたりから、お互いにツイッターでフォローし合ってネット上で時々会話をしていたのだけど、どうやら身体の具合が悪いことは薄々感じていた。マーカーの数値がどうの、なんてつぶやいていて、あんまり深く突っ込んで聞く気になれなかった。

彼は僕の高校、大津が初めて冬の全国大会に行った時の10番だ。
当時はDF3人の後ろにスイーパーがいて、中盤も前も、左右と真ん中に配置するような原始的な形。それでも試合を作る役割の選手が10番をつけることが多かったはずだけど、ゲームメーカー的な選手(マサシ)は好みもあってか5番をつけていたから、典型的なCFの彼が10番をつけた。

こいつはその年に新設された体育コースではなく理数科の2期として入ってきていたこともあって、他の連中と比べたら頭も良かったし、プレーもなんとなくクレバーで、当時から会話もスマートだったように思う。そんなの大した違いがあるはずないから今考えてみればおかしな話なんだけど、菊池郡、阿蘇郡の中学出身者が大部分を占める県北の県立高に熊本市の中学から来ていたことも、あいつが何となく洗練された感じがした理由かもしれない。

サッカーとは関係ないけど、文化祭かなにかの時、あいつが全校生徒が集まった体育館のステージの上で、当時流行していたブレイクダンスを飄々と踊ったことがある。その記憶も、そういう印象を強くしてるのかな、と思う。
ともあれ、大人になって時々会って話をした時も、頭の回転の速さや表現の確かさは感じた。

高校を卒業してしばらくはどうしていたのか知らない。でも僕がタウン誌で働いていた20代の後半になった頃、街の洋服屋に彼が勤めてたことが分かって、同級生の1人と一緒に何度か飲んだ。その後、彼は洋服とサッカー用品を半分ずつ扱う「リベロ」っていう店を出した。当然、そういう形態の店はなかなか難しくて、残念ながら店は軌道に乗らず閉店したが、結局、あいつはサッカーに戻ってきた。地元のクラブチームで子どもたちを指導したり、個人でスクールを開いて教えたりしていたらしい。目先の結果ではなく将来を見据えたアドバイスや指導をしていたことを、関係者のブログを読んで知った。たぶん、論理的に、分かりやすく、冷静に、諭すように話していたんだろう。

日曜にあった葬儀に行くと、彼が指導した子どもたちとその保護者がたくさん参列していた。とても慕われていたことが分かって誇らしかったけど、同時に悔しい思いも募った。もっと教えてやらないかんことがあっただろうに。

彼の病気については去年から知っていたが、直接病状を聞いていないこともあって、いつかまた会えるだろうと思っていた。だけど2ヶ月半くらい前、あまり長くないかもしれないということが分かって、この男のことを書かなきゃいけないと思った。たぶん状況は悪化していて、自分でも覚悟してたんだと思う。ツイッター通じてそのことを伝えると、彼はこう返してきた。

「現在の病状になりサッカーを通して子供達の成長を促すことが最初にして最後の使命かと感じています。多分残された時間は多くない。それは確信しています。私が指導者であることと、先輩が書き手であることは必然なのでしょう。今一旦下がった数値がまた上がって来ています。正直不安だらけです。このタイミングでの先輩のツイートにも必然性を感じます。前進するタイミングが来たら、宜しくお願いします」

良くなるの待ってたんだけど、そうじゃなくてこっちから会いに行かなきゃいけんかったのにな。ごめんな、間に合わんかった。

でも葬儀に来ていた子どもたちを見て思ったよ。選手としてだけじゃなくて、将来指導者になる子もいるだろう。たぶんお前が教えたことはしっかり伝わって、それはこれからも続いていくはずだ。

何よりレベルが違ったから、そもそも俺が途中で退部してなくてもそういう時間は少なかったのかもしれない。でもほんの1年と少しだったけど、一緒にボールが蹴れて良かったよ。

ありがとな小島。
ゆっくりやすめよ。

2012年6月26日火曜日

南下中。

とあるお仕事で、電話をたくさんかけています。

北の方から南下しながら。

これまでの仕事ではかけたことのないエリアなので、
まぁ状況の説明等をするのに伝わりにくい可能性とか、
あとは言葉が通じるか(通じないわけない)など、
やや緊張しながら進めておりますが。

しかしながら確かに感じるのは、
電話を通して聞こえてくる先方さんのイントネーションの変化。

まだ今日の段階では東日本地域なので標準語に近い感じですが(まぁそれでも若干の違いは聞き取れる気がする)、
これから明日以降さらに東海・中部→関西→中国→九州と下ってきますと、
あからさまにアクセントやイントネーションが変わってくるはず。

そのへん楽しみです。

2012年6月25日月曜日

富山戦。

2-0で今季アウェイ初勝利。

終わったから言えるけど、普通にやれれば現状では負ける相手ではないだろうと思ってました。しかし内容としては、ここ最近良かったのに比べるとやはりさほど良くはなかったかなと。画面を通じても、やや身体が重いというか、クイックな動きができてない印象でした。切り替えも含めて。

富山には行ったことないんですが、飛行機の乗り換えで入るのは結構しんどいんでしょうね。前日入りしているとは言え夜のゲームとなると体調面で難しさがあるのかもしれない。

そういう中での早い時間の先制点は確かに効いた。コーナー取る前のスローインが藏川選手からでしたが、相手がマーク等確認する前の1本目ということも得点につながった要因ではないかと。で、その後は何となくやーな時間だったけれども、相手のミスを逃さなかった2点目でほぼ決まったような気がします。

ポイントをいくつか。
まず、浮き球のパスに対して相手の選手の動きが後ろに下がる形になってますが、これを見ながらタケは競りに行かずにポジションを調整して、落下点を読んでいる。そこに読み通り、クリアミスのボールが落ちて来てます。
これを予測して、(たぶんシュートのイメージもできてたんでしょうね)ボレーで打つ判断をして、抑えたシュート。

シュート自体も上から落ちてくるボールなので難しい。距離があればドライブかけて落とすこともできると思いますが、角度もなく距離的には12,3mといったところから、ふかさずに押し出すというか、しっかり抑えたシュートになってました。

たぶん、この数試合で彼の中で得点への自信が大きく膨らんで来てるというか、ある程度のプレッシャーがあっても決められるというイメージができあがってるんじゃないかな。そのへん、次のゲームに向けてちょっと聞いてみようと思います。

前半はきつい展開になってしまったけど、継続で深化してると思うし、あと半分でごろっといい方向へ変わる可能性は十分ある。

千葉戦でその可能性を感じさせてくれたらと思います。

では、また。

2012年6月2日土曜日

横浜FC戦。

●0-2

連勝はならず、逆に相手は5連勝となった。

テレビでの観戦なので印象ですが。

前半終了間際のセットプレーのこぼれに武岡、後半終了間際のGKのパントから大久保に頭でつながれてカイオのカウンター。

確かに前半のPKのチャンスが決まっていれば、というのはある。あそこで先制できていれば流れはまた違っていたでしょう。でも今日の試合に関しては、相手のプレッシャーの緩さにつき合って、ボールへの寄せ、判断のスピード等が遅くなったという面があると思う。つき合って、というか、「こんぐらいでいいのかな」と錯覚したというか。

先制された場面はセットプレーからのこぼれで、そこへの寄せが遅かったのもあるけど、その1つ前のCKになった場面、の前のプレーで、大久保に入れられた斜めのボールに対して、完全に自由な間合いを与えている。大久保のシュートは吉井がぎりぎりでクリアしたけれど、これ以外にもクロスを自由に入れさせている場面があった。

2点目は仕方ない部分もありますけどね、点取りに行かなきゃいけないわけなんで。

ただ攻撃に関しても、前述したような相手のプレッシャーの緩さの影響で、1つ1つの判断が遅くなっていた印象。ワンタッチでさばくシーンもほとんどなく、スペースが空いてもそこで受けようという動きもなく。リズムに変化がなかった。
これじゃ相手も守りやすい。

逆に、後半に入ると相手の方が前半よりも寄せが早く厳しくなり、熊本はそれに対してアジャストできなかった。交代は14を先に代えたが、個人的にはもっと早い時間に25を変えといた方が良かったと感じた。19が入っても14がいなくなれば前のモビリティの総量は変わらない。

こういうのは今まであまり書いてきてないのですが、今日のゲームに関してはちょっと残念な思いが強いので残す意味で書いておきます。

次のPVに多少反映させられれば、と思います。

2012年5月29日火曜日

北嶋選手の件。

試合の2日前に朝刊で報道が出て、同日夕方に両クラブから正式なリリース。
私の仕事的には、抜いた抜かれたの世界とは違うので、新聞報道までは知りませんでした。(まぁそれじゃいかんのかもしれませんが)

数字的な実績というところはもちろんですが、それよりもむしろ、人格的なところや精神面ですごく大きな効果があるだろうと。

彼の決断に至った経緯は、土曜の新潟戦の後に行われたセレモニーでの発言を聞いた限り、まぁ向こうのクラブとの関係なので、もちろん強奪とかいうこととは違うわけですし(そういう余裕も正直なかろうし)、そんなに恐縮することではないのかもしれませんけれど。


柏における存在感というのはやはり格別で、それは南選手もそうだったと思うんだけど、
そういう選手が来る、というか、移籍先として選んでくれるということについては、それなりの魅力があるということが言えるのだと思う。熊本に。
近くにいると見えない部分かもしれないし、もしかしたら、社長の人的魅力とか、あるいはネゴの上手さとかっていう要素もあるかもしれない。その辺はおいおい迫ってというか、掘っていければ。

その北嶋選手についてですが、J2の同じカテゴリーにいた2010年に2回、試合後のミックスで話を聞いたと記憶している。


最初は、ホームであたる前に柏が福岡とやったレベスタ、2度目は、秋に乗り込んだ日立台。

ほんの5分にも満たない立ち話だけど、どちらでも感じたのは、対応の丁寧さ。何においてもそうだけど、さすがに第一線でやり続ける人は、そういうところからして違うのだなと。

そういう意味でも、また新しい刺激を注入してくれると思います。

期待している。

2012年4月10日火曜日

本の力と言葉の力について

仕事から帰ると、娘が1枚の紙を見せてくれた。

2歳か3歳のころからお願いしている「童話館ぶっくくらぶ」という会社から届いた、小学校入学をお祝いする手紙でした。

そもそも、どういう経緯でここの会員になったのかは、奥さんに任せていたのではっきり覚えてないんだけど、毎月2冊ずつ、子どもの年齢=成長にあった絵本をセレクトして家まで届けてくれる、というシステムで、これまでにトータル70冊以上送ってもらってる。
もちろん有料ですが、同じ冊数を書店で買うとなると、どうしてもシリーズ物に偏ったり、親の志向や好みもあって手に取らないジャンルがあったり、本を選ぶ人の価値観とかがダイレクトに影響して、子どもが読む本の幅を狭めてしまうということがありますね。

しかしながらこのシステムを利用していると、そういう偏りが生じることなく、幅広いテーマ、テイストの絵本に触れることができます。

うちでは、それをだいたい寝る前に読み聞かせてたんですけど、まぁどれくらい栄養になってたかは別として、少なくとも本を読むのが嫌い、という状況になっていないのは、やっぱりそうやって普段から本に触れてきた効果の表れなのかなという気はします。もちろん好みはあるようですが、多少なりとも本とか言葉に関わる仕事している親父としての面目も保てるというものでして。

で、冒頭の手紙に戻るわけですが。

小学校入学を迎えるにあたり、緊張や不安や期待を抱いているであろう子どもたちに向けて、安心を与えたり、発奮させたり、激励したりする、そういう趣旨で書かれたメッセージでした。

しかしな、これがひと味違うわけですよ。

例えば不安な時は、何なにという本に出てきた○○みたいに勇気を出して、とか、寂しい時には、何なにという本に出てきた○○みたいに、周りの友達が助けてくれるよ、とか、楽しいことばかりじゃないけど、そういう時でも、お母さんやお父さんは見守ってくれているよ、「○○○○」とか。

要は、そういう状況と、そういう状況に置かれた時の乗り越え方とかね、今まで子どもが読んできた絵本の主人公の名前やタイトルを使って、イメージしやすいメッセージになっているわけです。

これには奥さんも揺さぶられたようでして、ちょっとした上質紙にカラーコピーしただけの手紙なんですけどね、額装して子どもの机の横に掛けとこう、ということで意見が一致したほどでした。

今まで読んだ絵本が栄養になっているかどうかは、まだ分からないけれど、記憶には残っていると思うし、何かの拍子で思い出したりすることはあるだろうし、手に取ろうと思えば本棚にそれは常にあるわけで。
これから成長していくにつれ、例えば本の中に出てきた登場人物と同じような困難な状況に置かれた時、どうやって乗り越えるかというヒントくらいには、少なくともなる可能性がある。

そう考えると、やっぱり言葉とか、物語とか、本の持つ人に与える力というのを感じるのです。

そして我が身を顧みると、最近ちゃんと読んでない、ということにも気づくのです(笑)。

インプットをスルーせずに栄養やらエネルギーにしていけるかどうかは本人次第であるけれど、インプット自体がないとやっぱね、枯れていきますね。

読まねばね。

2012年3月16日金曜日

最後のドライブ。

いつも通りに降りて、いつも通りにすたすたと、彼女は歩いて行った。
長女が明日、幼稚園の卒園式を迎えます。
保護者も多数来るためか、卒園式は幼稚園ではなく、別の施設を借りて行われる。
つまり、今日は最後の登園日でした。
必然的に、朝の送りも今日が最後。

「今日で終わりかぁ」と感慨に耽る父親とは全く対照的に、
彼女は普通に、車を降りて行ったのでした。

登園を車で送り始めたのは、入園した4年前のこと。
2人で家を出て、手をつないで駐車場まで行き、車に乗せて園に着いて彼女が降りるまで。
時間にすれば15分ほどですが、小学校に入るとその時間がまるまるなくなってしまうことを考えれば、やはり僕と娘にとっては貴重な、朝のデートの時間でした。

初期の頃は挨拶の練習したり、「今日の天気は何かな?」なんて問いかけたり。
大きくなってからは「今日は何して遊ぶの?」とか「給食残さずに食べなんよ」とか、
時には「ママの言うことはちゃんと聞かないと」って小言を言ったり。
支度が遅くて母親に叱られ、まともに朝ご飯食べられないまま泣きながら出て来た時は、途中のコンビニでパンと牛乳を買って車の中で食べさせたりもした。
毎日決まった時間に帰れるわけではない僕にとっては、できればちょっと遠回りして、時間をかけてドライブしたいような、コミュニケーションの時間でもあったかな。
その半分くらい、というかほとんどは、なぞなぞやらクイズやら、他愛ない会話にすぎなかったんですけどね。

今月に入ってからの主題はほとんど卒園と小学校入学に関するもので、残り少なくなっていく送り時間をできるだけ濃いものにしたいという僕の思惑通りには全くいかなかったんだけど、それでも彼女が、楽しい時間だったなと、時間が経って思ってくれたらそれでいいのかもしれない。


入園した当初は、正門から少し離れた駐車場に車を止め、30mほど歩いて門まで送り、そこで先生に引き渡していました。
その当時に生まれた儀式があります。

ハイタッチ。

何だろ。どういう意図でやり始めたかは忘れてしまった。でも、僕がかがんで手を上げると、彼女も「パチン!」とたたいて、意を決して踵を返し、園内に歩いて行く。
その数秒間に、
「今日も元気に行ってこい!」「いってきます!」
っていうやりとりがあったんだよね。

不思議なもので、全くと言っていほど「行きたくない」とこぼした日がないんです。
そして「パチン!」をやって歩き始めると、振り返らないんだ。

去年からだったか、送りの保護者の車の動線が変わって、子どもだけ下ろすような仕組みに変わり、正門まで一緒に歩いての「パチン!」はできなくなりましたが、それでも降りてドアを閉める前には「パチン」とやります。うちのこの儀式を見慣れている先生は、手を叩くのを待っててくれたりするんだけど、中には全く知らない先生も当然ながらいて、降りるや否やドアを閉められたりすることもあって、「パチン」できなかった日は調子が狂ったりもしたんですが。

最後の登園日となった今日も、無事に「パチン」して送り出すことができました。

明日の朝も「おとうさん、そつえんしきで泣かないでよ~」なんて言われるんだろう。
いや、たぶん泣かないけどさ(笑)

年を重ねていけば、そのうち話もしてくれなくなる時期もくるんだろうなと思うんだけど。
できればね。
口で言わなくても、「いってきます」の「パチン」はさ、
ずっとやってほしいな、と思うんですよね。

むりかな(笑)


去年も行くつもりだったけど震災で延期になって結局行けなかった京都、
今年は行きたかったんだけど。
そんなわけなんでTV観戦となります。