2012年12月19日水曜日

音楽にはかなわない…んじゃないか。

ひと月ほど前ですが、
とある方からライブをやるにあたっての準備に加わってもらえないか、という連絡をもらいました。

結果として諸事情によりこのライブはちょっと延期ということになったのですが。

準備に加わると言っても、音響とかイベント運営について私は全く分からないわけで、先方の考えとしては、フライヤーや企画書に記載する文章を考えてくれ、ということでした。

この方とは長い付き合いで、私が社会人になってすぐの頃に仕事で知り合い、その後ちょこちょことお願いしたりされたりという時期を経て、ずいぶん長いこと(入院されたり各地を回られたりで時間もなかったんだけど)会う機会がなく、先日ほんとに数年ぶりに会ったわけです。

容姿も、それから何と言うか、(本当はそうじゃなくても)アッケラカーンとした雰囲気も変わらず、それはそれで嬉しいことでね。
で、話が進み始めて、企画を立ち上げた方、フライヤーなどデザインを担当する方(こちらも旧知の先輩)、そしてライブの時に音響を担当する方、そしてご当人と私の5人が集まる形で一席設けられて、お酒を飲みながらいろいろと話したわけです。

そのとき、話を受けた時から気になってたことがあったので聞いてみた。
「そういう大事な催しに、私の書いたものを使っていいんですか?」
するとこうおっしゃる。
「なん言よっとね、アンタだけんいいとたい」

これは非常に嬉しかったんだけど、こういわれるとますますプレッシャーに感じるものでして。なぜそう思うのかっていうのを、それから考えてみたのですが、自分の中で結論はこう出た。
つまり、音楽に文章はかなわない。ということで。

どっちがいいとか悪いとかってことではないし、もちろんそれを表現する目的には共通する部分もあれば違いもあるし、例えば逆の立場であれば感じ方も逆になるのかもしれないけれど。

この人がやっている音楽を表現するために書く文章は、この人がやってる音楽そのものにはかなわないんだ。

この方に限らず、音楽をやっている人の言葉のセンスに触れると、いつもハッとさせられる。
そりゃそうだ。限られた文字数=音数に思いやメッセージを伝わるように込めるんだから、だらだらと垂れ流すように文章を書く私のような書き手の表現に比べたら、何倍も洗練されていて、何倍も鋭く、深い所まで届く。おまけにそのことばにメロディがつけられて、楽器の音と歌い手の声が重なって、生で聞けば場の空気も聞く人を包むんだもの。
文字で書かれた文章がかなうわけがない。

こういう感覚は、写真を撮る人や絵を描く人と接する時にも感じるんですよね。映像はもちろん、もっと広げたら料理や建築も表現なわけで。

そう考えると、何かについて書いたものというのは、その書いた何かを補完するものでしかなくて。もちろん人のコミュニケーションの大部分はことばで成り立ってはいるんだけど、それが全てではないし、そこに頼り切ってしまうことの弊害もある。だからって蔑ろにするわけにはいかないという。

その価値を十分理解した上で、それ以上のものを付加できるようなものを作っていかなければなぁと感じますな。自分がやってることは文芸じゃないけど、まぁ何にしてももっと磨かないかんということは間違いなさそうです。

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