2014年8月7日木曜日

あと1つ。

山梨で行われている高校総体、5年ぶりにベスト4入りした大津は、準決勝で前橋育英に1-0で勝って、史上はじめて全国大会での決勝進出を決めました。熊本県代表の決勝進出は'85年の石川インターハイで優勝した九州学院以来。

'85年と言えば、自分にとっては高校受験の年。
NHKで放送された室蘭大谷との決勝戦、まだ戦術だのシステムだのが語られていない時代にあって、ショートパス主体にしてゴール前ですらワンツーで崩していくような「綺麗な」サッカーを見て、中学生ながら衝撃を受けたものです。
何より魅かれたのが、あの鮮やかなオレンジ色のユニ。たぶんオランダをイメージしたものなんだけど、肩から袖口にかけて入ったアディダスの黒い3本線が締まりを与える一方で、その3本線の隙間がね、地の色であるオレンジではなくて、あえて白になってるところ、これがまた特注っぽくて上品で、すっごくかっこ良かったんですよね。あれを着たい!と思った。

僕の通った中学にはサッカー部がなく(今はありまして、数年前には県で準優勝の実績もありますの)、サッカーをやりたかった奴らは陸上部か野球部かバレー部か、そしてなぜか卓球部に分散した。そして自分も含めて、そんな連中は昼休みのバレーボールを使った体育館サッカーに夢中になりました。
バレーボールは小さくて軽く、おまけに体育館で風の影響を受けないから曲げるのも簡単で、サッカーボールと比べてパネルの枚数が少ないからか、今で言う無回転キックのような、不規則な曲がり方も時々は飛び出して、そりゃぁ盛り上がった。ヘディングしても痛くない。ただ、あるとき陸上部の後輩の女の子の顔面に思いきりボールをぶつけてしまったことがあって、あれはさすがに痛かったろうと思うし、思い出すだけでも冷や汗が出る。本当に申し訳なかったと思います(体もちっちゃい子だったので)。
で、同級生の中には「お前、九学に行けばいいんじゃ?」みたいなことを言うヤツがいて、こっちとしてもその気になり、受けてしまうのね。決して、記念受験じゃなかったんだけど。


で、九州学院、不合格。受験には運もある。私立で1つだけ受かってたけど、そこに行くくらいなら浪人した方がまし、というくらいに行きたくないところ(なのでドコ、とは言えないのですが)。もう後がない僕はやっと本気を出しまして。

とは言え、公立も本命として狙っていたところは別にあった。でも担任のN先生は、ちょっと微妙だという。そこで薦められたのが大津高。新設される理数科なら全県域が対象なので、阿蘇郡の中学から受験しても上位5%の学区外基準は関係ないから、とN先生は言った。聞けば、N先生もそこのOB。そして実はうちの爺さんも、旧制中学時代ではあるが大津OBなのでした。
ならいいか。もし理数科がダメでも、普通科のラインには引っかかるだろう。
そうやって、もしかしたら導かれるかなにかして、15歳の僕は大津に入った。

昭和61(1986)年、春。私はようやく、人生で初めてサッカー部員となりました。この時の大津はまだ、普通の田舎の県立高校のサッカー部でした。僕ら1年が(徐々に減ってくんだけど)15人くらい、1つ上の2年が5〜6人、そして3年生がやっぱり4〜5人、という感じ。ぜんっぜん、強くない。先輩たちみんな部室で◯◯してたし(笑)、強いわけがない。県でもベスト16に進めばいい方。同じ県北にあって公立普通高校のライバル的存在である鹿本にはもちろん勝てないし、隣の大津産業(今の翔陽ね)にだって勝てない。中学の同級生が何人も行った阿蘇高校が時々、練習試合しにきたりして(ワタナベさんっていうゴツくて上手い人が1人いたなぁ)。それでもまぁ、1年目の遠山先生はずっと優しかったし、牧歌的で平和だった。中学時代に本格的にやってないハンディは感じたけど、このまま頑張ったら3年になればレギュラー取れるかな、くらいのレベルと規模でしたね。

しかし裏では、壮大なプロジェクトが始まっていたのでした。それはつまり、翌年から体育コースを作ってサッカーを強化し、将来的に全国を狙う、ということ。この年から荒木時彌さんが校長になったのも、小中学校で実績のある遠山和美先生がサッカー部の顧問として赴任してきてるのも、そのためだったわけです。

昭和62(1987)年、春。1学年下にできた体育コースに入ってきたのは上手いやつばかり。竜北中から4人、竜南、砥用、小川、北部、武蔵といった、体育コースがなければ「なんで大津に来たと?」と聞きたくなるような校区外の中学からきた連中はもちろん、大津、合志、旭志あたりの校区内の中学出身の連中も、今までとは全く基準が違うわけです。ボール扱いの基礎から、もう全然違う。
6月の高校総体が終わると、僕らの1つ上の3年生は皆引退。そしてなんとなく、「下のヤツらを使うんでしょ」といった空気から軋轢が生じて、同学年も入部当初からかなり減り、7人くらいになった。これがちょうど、過渡期でした。
正直に言えば、自分もそういう空気を感じ取ってはいた。でも、いっつもリフティングが俺の所で続かなくなって、「こんくらいでごまかしときましょうか」って言われるのがつらかったのを除けば(笑)、上手い奴らと一緒に蹴るのは本当に楽しかった。夏休み前には島原まで遠征に行って九州総体を見たり、島商とやったり。バスの中で佐々木がずっと言ってた「島商と、しましょう」っていうつまらない駄洒落も、くだらなくておかしくて。

遠山先生にはプランがあった、と、その年の冬、高校選手権初出場を決めた直後のサッカーマガジン(当時はまだ月刊)にはある。それによれば、体育コースの1期を対象にした強化策は、「1年で技術、2年で戦術、3年で体力」を強化して、3年目で全国に名乗りを上げる、というもの。しかしそのプランに反して、1年の彼らが、全国への扉を開けてくれたんです。しかも九州学院を決勝で下して。

この年の夏、学校に新しくできたセミナーハウス(いわゆる宿泊研修施設)で、運動部の主将、副将を集めた研修会があり、なぜか副将の1人に指名されてしまっていた僕はキャプテンの吉村修一君とともにこれに参加。そして夕食後に設けられたミーティングでの、各部の目標をスピーチする時間、あろうことか吉村は、相談もなしに言い放った。
「県で優勝して全国に行きます」
横で聞いていた僕は「ちょっ、そりゃちょっと早いだろ。せめてベスト8ぐらいにしとけよ…」と思ったんだけど、
「あん時は勢いもあったけどたい、あんだけのメンバーがおったとだけん、行かないかんやろ、って、俺は思っとったね」と、吉村は言ってました。

私はと言えば、県大会の準決勝(熊農戦)前日に、夕方の課外が増えて練習に行けなくなったことを理由に、顧問の遠山先生に退部を申し出て、続けていれば(開会式で)踏めたであろう国立のピッチを踏み損ねたわけですが…、
昭和63(1988)年のお正月、全国大会に初めて臨んだ大津は、千葉の秋津サッカー場で対戦した茨城の古河一に0−7で惨敗。そりゃしょうがない。だって11人のうち、スイーパーのキャプテン吉村を除く10人が1年でしたからね。
当時のシステムは1−3−3−3。

FW  ⑪橋口  ⑩小島  ⑨眞田

MF  ⑧三森  ⑤島村  ⑦村山

DF  ③河野  ⑥村上  ④佐々木

         ②吉村

GK       ①山崎


背番号はちょっとうろ覚えだけどこんな感じかな。なんというか、原始的。

この時のことを、去年フェイスブックを通じて25年ぶりに会った佐々木はこう言ってます。
「学校だけじゃなく、大津町挙げての応援だったのに、あんな負け方をして。恥ずかしくて帰りたくなかったですよ。でも帰ってから応援に来てくれた同級生に『修学旅行みたいで楽しかったよ』って言ってもらえて、良かったなって」
そう。負けたんだけど、0−7なんてすごく恥ずかしかったんだけど、なーんにもない、ただの田舎の高校にさ、「俺ら、大津!」って言える、自慢できることを作ってくれたんだ。
途中で退部して、自分が出たわけでもないのに、1年の浪人生活を経て入った大学のサッカー部で「出身高校は熊本の大津です!」って言っただけで、「大津か! 期待してるぞ!」って言われるくらいに。

でも俺らにも葛藤があったんですよ、と、佐々木は言うのです。竜北とか小川とか、八代あたりの中学から縁もゆかりも無い菊池郡の高校に来て、受け入れてもらえるか不安だった、と。でも、初めて全国行きを決めたあの水前寺で、あんなに多くの先輩たちが応援に来てくれたから、力を出せたんですよ、と。

あれから26年の間にも、そういう思いで入ってきた選手達がたくさんいたんでしょうね。ざっとならして、毎年40人くらいの部員が卒業してきたと計算すると、この26年で1000人を超えるOBがいることになる。
そういう人のなかには、プロになって今も現役で頑張ってる選手もいれば、そうでない選手もいれば、
癌を患って、後輩たちの活躍を見届けられずに41歳で亡くなった小島和男もいる。

数年おきに「今年は行けるぞ」と言われながらもなかなか勝ち進めず、県内では私学がまた台頭して群雄割拠の時代もありながら、でも安定して全国で上位を争えるようになって、やっとやっと、初めてファイナルまできた。平岡先生の功績は間違いなく大きいし、なしには語れないです。でも、26年前に最初の1歩を踏み出したヤツらがいたんですよってことも、横で見ていた僕としてはちょっとだけでも、知って欲しいと思うんです。

東福岡にも、思いや背負ってるものもあるでしょう。
九州総体では負けているし、力的には向こうが上かもしんない。

それでもあのときと同じように、周りの在校生も、そしてサッカー部でない人も入れれば2万人くらいいる卒業生がずっと、「優勝はまだか」って気にかけてきた。それは軽くないよね。

おっちゃんは明日、リアルタイムでは見れない。
でも、いい知らせを待ってるぞ。





2014年3月25日火曜日

水丸さん。

安西水丸さんが亡くなった。

もちろん面識はないんですが、東京で編集者をしている前職時代の先輩は、上京した頃からよくしてもらっておつきあいがあったらしく、私にとっては「先輩の知人」という、遠い中でも近い方(ややこしいしおこがましいのですが)だった。

それだけでなく、水丸さんと言えば、村上春樹さんの「村上朝朝日堂」でそのイラストには学生時代から親しんでいたし、巻末に納められた対談などを読んでも、先輩のつてを伝って1度はお会いして、いろんなことを教えてもらいたい素敵な大人、でした。

それにしても昨年末から立て続けに、いろんな人が亡くなる。
青山純さんに大瀧詠一さんと、中学時代から達郎を聴いてる自分にとってはすごく身近な人も亡くなってしまった。
俺の中に刻まれてる達郎サウンドのほとんどは、Dr青純&Ba伊藤広規のリズム隊だからなぁ。

もちろん人はいつかは亡くなるんですが、
「だいたい◯月◯日ごろ」っていう「予定日」がある誕生とは違って、それはいきなり来る。

ほんのちょっとした繋がり——それはただファンであるとか、見たことがある聴いたことがある読んだことがある、という程度のもの——であっても、少なくとも同時代に生きた人が亡くなる、しかも急に亡くなるというのは、やっぱりやりきれないものです。

2年前の夏に、高校の後輩が41歳で亡くなって、
僕はそいつに聞き忘れて——そして書き忘れて——いたことがあるのですが、
本人にはもう話を聞けないんだけど、当時その周りにいた人には、幸いにもまだ話が聞ける状態にあります。
でも中にはお年を召している先生もいるので、お元気なうちに早く材料を集め、そして成果物を見てもらえるように頑張らなきゃ。

と、思っています。



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(1987/02/27)
村上 春樹、安西 水丸 他

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2014年2月23日日曜日

もう開幕。

2014シーズンのキックオフカンファレンスに行ってました。

個人的には4年ぶり3回目ということもあって、今までの2回とはちょっと違って落ち着いて入れた(笑)というか、的を絞って資料集めたり話を聞くことができました。もちろんあくまで公の場なので、各チームの監督さんの話もメディア向けだとは思うのですが、PV作成や試合の見方に生かしたいと思います。カンファレンスでは、小野監督も巻選手も在京メディアや関係者に囲まれていて、注目されているのだなと感じました。


夜は恒例のJ2白書決起集会に参加。(そしてもちろん痛飲。。)

今日は午前中に1件、出版社の方と会ってとある企画の提案をし、国立競技場でゼロックススーパーカップを見た後、関東応援団の発足会の頭部分だけ拝見して話をうかがい、19時発のANA649便で帰ってきました。

昨日いただいたJリーグの赤本や各クラブのイヤーブックを持って歩き回るのはしんどかった。。
両手首が腱鞘炎ぽくなっています。

明日、明後日と非公開の練習試合。
いよいよ開幕が近づいてきました。


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▲離陸後すぐに見えて来た阿蘇は雪景色
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▲雲も少なくて(写っとるけど)富士山もきれいに見えた
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▲14時頃会場に着いたのですがお腹減りすぎていたので昼飯。ロイヤルホストの看板を見て入ったら1つ手前のパブみたいな店だった。ハムサンドイッチ600円って「高っけ!」と思ったけど出てきたら結構なボリューム
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▲会場にディスプレイされていたアウェイユニの背中。くまモンけっこう大きい
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▲ゼロックスが行われた国立競技場には、J3まで含めた開幕カードごとにユニが飾られていました。背中を覗き込んでくまモンを確認している方も多かったです

2014年2月13日木曜日

TM②③④

宮崎は遠い。
今日は初めて綾町というところに行きました。


JFK甲府がキャンプしている小田爪多目的広場はtotoの助成金で造られた施設のようで、ピッチを囲むトラックが4レーンあり、トレーニングに打ち込むにはちょうどいい環境のようでした。ピッチ横では「ウォータースライダー」の工事が行われていて(たぶん夏頃完成するんだと思いますが)、夏場の避暑にも良さげ(行けないと思うけど)な場所。


今日は高速料金を圧縮するために人吉ICで下りて、R221をえびの〜小林経由で走った。行きは余裕もあってゆっくりだったのですが、帰りはえびのまで下道で1時間半、えびのから高速で1時間と、ぐるりと南を回ってくる高速を利用した場合と時間的にはそんなに変わらなかったのではないか。ETCの時間帯割引で高速料金は往復2500円と、コスト削減にも成功でした。


さて大宮、札幌、甲府と続いた3連戦、変則的な時間設定も含めトータルスコアで1-7、0-3、1-2と連敗しているわけですが、数字から受けるイメージほどには内容は悪くない、というのが私見です。メンバーを入れ替える3本目以降とか、後半になって失点が続いているのは当然、チームとしての総合的な戦力差が表れていると言わざるを得ないので、そこはもちろん底上げをしていく必要はある。


それはそれとして、(おそらく先発争いに絡んできそうな顔ぶれで組まれているであろう)1、2本目に関していえば、どの相手とも、ほぼ互角と言える展開ができている(大宮1-1、札幌0-1、甲府0-0)。点が取れてないのは確かに課題で、フィニッシュもその前の共有の所も継続的に高めていかないといけないのですが、「いい形」というのは試合を重ねるごとに増えてるように思います。


それより、今までとの違いを感じるのが守備ですね。
大宮戦では家長の横ドリ、札幌戦も右から左への揺さぶりと、自陣に運ばれた上で対応できてない場面ではやっぱり失点につながっているのだけど、相手が後ろで作っている状況での追い込み方に関しては、今までにない連動性が見える。最初のアプローチを受けて後ろのカバー、相手との間合い、その時の身体の向き、寄せるタイミング、そして「ここで取りきるぞ!」という判断の共有、そうした要素が有機的に絡み合っている印象。


だからメリハリがあるし、取ってから前に出て行く勢いがグループとしてある。マイボールにしたあともボールを動かすこと自体が目的になっているのではなく、最終目標はゴールだと意識した上で動かせている、そう感じられる。

こういった共有は一緒にプレーする時間が長くなるほど深まるものなので、裏返せばおのずと、人が変われば質が下がるとも言えるし、実際にその傾向が出てもいるので、そのいい時と悪い時の差、人が変わることによって生じる差をどう埋めていくかが、シーズンを通してのテーマのひとつにもなってくるだろうなと思います。


もちろん簡単にはいかないし時間もかかるんだろうけれど、それでもそういう部分を補完する背景として、先月末に行われたフィールドワークをはじめ、監督が意図的に“我々はチームである”ということを植え付ける言葉を投げ、マネジメントをしている。こうした仕掛けの成果として、前向きな一体感を感じられるということが実は、今の時点でそんなに心配してない最たる理由、だったりするわけです。


中1日で明後日からは山形、富山、広島、東京…と、また連戦。
まだ、ここから開幕に向けて仕上げていく、というより、ハードな日程の中で生じてくるであろう綻びをどうカバーするのか、高負荷をかけてからどう回復力を高めるか、またシーズン中に振り返れる精神的な後ろ盾になるよう、等々、いくつかの狙いのもとで、多少のリスクを見越した上でもあえて組み込んだ、フィジカルも含めた追い込みのフェーズ。


あと2週間、あらゆる可能性をテストして、一方で課題は出るうちに出し切り対処法を検討しておく。それも小野さんならではの思考をベースにした、開幕への準備の仕方なのではないかなと思います。

2014年2月5日水曜日

初TM vs 大分

大分とのトレーニングマッチでした。
45分×3本で、0-0、0-0、2-1(高橋、ジョン ミンヒョク)のトータル2-1。
白星発進です。

システムは全部4-2-3-1、かな。
相手の大分もほぼ同じでマッチアップする形でした。

メンバーについてはオフィシャルでも控えているので触れるのはやめておきますが、
3本通して、全体のバランスは良かったように思います。
懸案だった左右サイドバックについても新しい可能性が見えたし、ここまで私が見に行った中では組織的な守備練習をあまりしていない割には、ディフェンスが破綻して崩されるという場面はほぼ無かった。


終わってから監督が言われていたこと、選手が言っていたことなどを総合すると、

今日の試合にあたってはどうはめ込んでいくかというのがひとつのテーマだったようで、そのタイミングについては共有できていたと思いますし、1度のチャレンジで取りきれない場合の2度目、3度目、その後のリカバーもまずまずでした。
切り替えの意識や早さは1本目2本目3本目で少し差はあったにせよ、チームとしてのコンセプトは感じられた。

攻撃では、今までのトレーニングで相手を動かしてスペースを作りそこをどう使うか、クロスに対する入り方や合わせるポイント、球質などをいろんなパターンでやっていたので、そうした形がどれくらい作れるかを個人的には見ていました。
そういう狙った形でフィニッシュまでもっていく場面はそんなに多く作れていたわけではなかったと思いますが、選手間の距離やアングルは悪くなく、いい形でサポートが入り、また逆サイドの準備もできていて、停滞することなくいいテンポでボールを動かせていたと思います。新加入含め若い選手もそれぞれに特徴を出せていたし、何よりチャレンジ、トライするプレーが多かったのには、監督も満足していたようでした。

Jクラブとやるのは最初なので、アピールしなくてはという気持ちもそれなりにあったはずですが、それを差し引いても、内容のある練習試合になったのではないかと思います。

明後日は宮崎で大宮とです。

2014年1月28日火曜日

あけました

今年もよろしくお願いします。


さてチームの方も新しい体制で動き出しています。
個人の感想ですが…、今年は期待大。


まぁ、いきなりPO圏を争うかとか、そういうのは言いきれないところはあるけど、中期的に見た時に今年を転機として上向いていきそうな予感はします(始まったばっかりだからそう思えるのは確かで、始まったばかりでそう思えないのも問題なのですけど)。もちろんシーズンを通してずっと順調、ってわけはないので、つまづきそうになることもあるでしょう、でも少なくとも、去年のようになかなか抜け出せない、ということには陥らないのではと思います。


編成を見ても今年勝負、ということではなく数年先を見ていることがうかがえるし、
実際に新加入選手それぞれに際立ったキャラクターがあり、それが普通に、歪まないで伸びていけば、現実的に昇格を争っていく力はついていくのではないかと思っています。

練習を見たり、直接インタビューしたりして感じるのは、監督は非常に伝え方が上手いということ。
発する言葉に具体性があるのはもちろんですが、その声のトーン、表情、そしてタイミングなども細かく計算されていて(という風に見えるけど実はもう無意識にそうなさっているのだろうとも思うのですが)、チーム全体のベクトルがポジティブな方向でまとまっている印象がある。
特に選手へのコメントについては、ボールと関わらない位置での動き出しなどについても気を配って「今のは良かったよ」とか「悪くない悪くない」と声をかけていて、選手の立場からすれば「しっかり見てもらえているんだな」という安心感、ひいてはお互いの信頼関係の構築につながっていると思われます。

当然、代表含めてスカウティングという仕事を専門的にもなさってきているので、
相手がどうきて、どこがポイントで、そこをどう潰してどう自分たちの強みを出すのか、といったことに関してはぼちぼち始まっていくでしょうし、試合ごとにフォーカスしてくるポイントはあろうと思いますが、そういったディテールの土台となるところを貫いているのが、就任会見でも新体制発表でも言われた「選手の持っている力を引き出す」ということ。

そういうベースがあることをふまえた上でトレーニングを見ると、改めて基本的な部分を植え付けることも含めて、なんとなく志向する形が見えてきている感覚がある。

今週末の阿蘇でのフィールドワーク、というメニューを経て来月に入ってからはトレーニングマッチを重ねていく予定になっていると思いますが、そこからどう深まっていくのか楽しみです。
監督の影響もあるのだと思いますが、今までのプレシーズンと比べて選手が変わってきてる(技術的に格段にうまくなったということではなく、表情や取り組み方、周りへの声かけ、雰囲気を盛り上げようとする姿勢、などですが)ことを強く感じます。


個人的にですが、今年の注目は今のところ養父選手です。

それではまた。